2013年9月27日金曜日

「勤務中にケータイをさわるな」と「学校にケータイを持ってくるな」の相似点

スマホのことを”ケータイ”と呼ぶのも何だか違和感を感じる昨今ですが、一昔前であれば「学校にケータイを持ってくる」あるいは「勤務中にケータイをさわる」のはよくない行為であり、咎められて当然という環境でした。

しかしガラケー→スマホによって時代は変わりました。ケータイは単なる娯楽や暇つぶしの手段ではなく、情報収集やビジネスツールとしてなくてはならない存在に。

しかし、監督する側(上司や教師あるいは親)はそうは思っていないようで、タイトルのような声はしばしば聞かれます。

私はこの空気に異を唱えます。問題点は二つ。


1.監督側が技術で遅れている


上司や教師あるいは親から見て、スマホをさわっている=遊んでいるという先入観があるようですね。スマホがいかに有用なツールかを理解していない人が陥りがちな罠です。

”twitterなんて暇人がやるもの”と考える人は、暇人としてのtwitterの使い方しか想像できていないのと同じで、自分の想像の範囲内で短絡的思考に走る。

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例えば仕事。RSSによる業界ニュースの収集、twitterでハイスペックな同業者をフォロー、添付文書検索アプリ(iPhone)メディセオの発注アプリ(iPhone)、LINEのグループトークによる業務連絡やWebメール閲覧、カレンダーアプリによる予定確認やGoogleドライブによるシフト表管理・閲覧、YouTubeによる吸入薬指導の閲覧などなど。

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また、学校でも親子間連絡・安否確認はもちろん、Dropboxを用いたノートの共有や、LINEグループトークによるクラス・部活の連絡網、ボイスメモや写真・動画撮影による授業の記録や復習など、ちょっと考えただけで様々な用途が思いつきます。


こちらの問題は時代が進むにつれて解消されていくはずです。「どうやらこんな使い方があるらしい」というのが広まるのと、そうした流れに対応できない恐竜さんの加齢と、二重の意味で。

問題は次。


2.自主性を尊重する個人主義の風潮がない


極端な話、勤務中にケータイをさわっていようが、成果を出していればいいはずです。授業中ケータイをさわっていようが、授業の内容を理解しテストで点を取れていればいいはずです。

しかし、これは欧米流の「自由にしていいけどダメだったときの責任は取るのよ」という個人主義に基づく考え方であり、日本にはなじみません。

私自身は個人主義大賛成派なので、
「勤務中いくらケータイさわってもいいけどやることはやれよ」
「授業中いくらケータイさわってもいいけどテスト悪かったら落とすぞ」

これでいいんじゃないかなぁと思いますが。ケータイで遊んだ結果脱落していくならそれまでだし、逆にケータイを利用してさらに上に行く人もいるだろうし。

この考え方に反発を覚える人は、真面目にやって秩序さえ乱さなければ仕事or勉強ができなくても許しちゃうタイプなんでしょうね。そうした日本人の国民性もありますし、こちらは解消される日はこないかもしれません。


大本営が動けば変わる…かも?


「みんなやってるらしい」で素直に行動を変えるというのも日本人の国民性ですが、仕事でのBYODや教科書の電子化、授業のオンライン化など、まだまだ過渡期なこの分野。一見してコケるなという試みもあれば、これはいいねというものも。いろいろ試していいものが残ればいいですね。

ひとまず当面は「表面上はルールを守りつつ(こっそり)技術を使っていかに成果を上げる(ラクをする)か」という方向で動くのがお互いのためだと思います。

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