しかしガラケー→スマホによって時代は変わりました。ケータイは単なる娯楽や暇つぶしの手段ではなく、情報収集やビジネスツールとしてなくてはならない存在に。
しかし、監督する側(上司や教師あるいは親)はそうは思っていないようで、タイトルのような声はしばしば聞かれます。
私はこの空気に異を唱えます。問題点は二つ。
1.監督側が技術で遅れている
上司や教師あるいは親から見て、スマホをさわっている=遊んでいるという先入観があるようですね。スマホがいかに有用なツールかを理解していない人が陥りがちな罠です。
”twitterなんて暇人がやるもの”と考える人は、暇人としてのtwitterの使い方しか想像できていないのと同じで、自分の想像の範囲内で短絡的思考に走る。
関連記事:私のスマホ活用法
例えば仕事。RSSによる業界ニュースの収集、twitterでハイスペックな同業者をフォロー、添付文書検索アプリ(iPhone)やメディセオの発注アプリ(iPhone)、LINEのグループトークによる業務連絡やWebメール閲覧、カレンダーアプリによる予定確認やGoogleドライブによるシフト表管理・閲覧、YouTubeによる吸入薬指導の閲覧などなど。
関連記事:Google Driveを利用したクラウドシフト管理術
また、学校でも親子間連絡・安否確認はもちろん、Dropboxを用いたノートの共有や、LINEグループトークによるクラス・部活の連絡網、ボイスメモや写真・動画撮影による授業の記録や復習など、ちょっと考えただけで様々な用途が思いつきます。
こちらの問題は時代が進むにつれて解消されていくはずです。「どうやらこんな使い方があるらしい」というのが広まるのと、そうした流れに対応できない恐竜さんの加齢と、二重の意味で。
問題は次。
2.自主性を尊重する個人主義の風潮がない
極端な話、勤務中にケータイをさわっていようが、成果を出していればいいはずです。授業中ケータイをさわっていようが、授業の内容を理解しテストで点を取れていればいいはずです。
しかし、これは欧米流の「自由にしていいけどダメだったときの責任は取るのよ」という個人主義に基づく考え方であり、日本にはなじみません。
私自身は個人主義大賛成派なので、
「勤務中いくらケータイさわってもいいけどやることはやれよ」
「授業中いくらケータイさわってもいいけどテスト悪かったら落とすぞ」
これでいいんじゃないかなぁと思いますが。ケータイで遊んだ結果脱落していくならそれまでだし、逆にケータイを利用してさらに上に行く人もいるだろうし。
この考え方に反発を覚える人は、真面目にやって秩序さえ乱さなければ仕事or勉強ができなくても許しちゃうタイプなんでしょうね。そうした日本人の国民性もありますし、こちらは解消される日はこないかもしれません。
サドベリー教育いいね。でも小学校に上がれば結局全体主義になるのがなんとも。 / 大切なことなのに、意外と知らない「幼児教育」の多様な選択肢 http://t.co/do9vlbv4tk @IHayatoさんから
— 雅 (@miyabi0929) September 24, 2013
大本営が動けば変わる…かも?
「みんなやってるらしい」で素直に行動を変えるというのも日本人の国民性ですが、仕事でのBYODや教科書の電子化、授業のオンライン化など、まだまだ過渡期なこの分野。一見してコケるなという試みもあれば、これはいいねというものも。いろいろ試していいものが残ればいいですね。
ひとまず当面は「表面上はルールを守りつつ(こっそり)技術を使っていかに成果を上げる(ラクをする)か」という方向で動くのがお互いのためだと思います。
関連記事:「常に忙しく働いていないといけない」という思い込み